2014/04/15

Emo考察①



僕がこのブログで頻繁に発している"Emo"やら"Emo Revival"という言葉。一体どこからどういう変遷があって今シーンが盛り上がっているのか、ここ数年の僕の考察をまとめようと思い久しぶりに特集記事を組みました。
ここでは"Emo"を知るきっかけになると良いなという思いから記事を作っています。
みなさんの音楽Digライフの力になれれば嬉しいです!
(いくつかwikiさんの力を借りました!笑)


①Emoの始まり
みなさんは"Emoバンド"と聞いてどのアーティストを思い浮かべましたか?
人によって思い浮かべたバンドは違ってくるはずです。もっと言うと、世代によっては確実に違いが出てきます。当たり前と言えば当たり前ですが、それぞれのコミュニティではEmoについてある程度共通の認識があることがわかりました。また認識のギャップはどのように生まれているのかを紐解いていこうと思います。

【80's】

このバンドは80年代に結成されアメリカのワシントンを中心に活動していたMinor Threatというバンドです。このバンドがやっている音楽性を一般にはハードコアHardcore)と呼んでいます。彼らを始め、このような音楽スタイルが当時の僕みたいに音楽好きな若者の間で注目を浴び、シーンは育ち盛り上がっていきます。


1980年にMinor Threatが結成され83年に解散してしまいます。その後Minor Threatのメンバーはそれぞれ新しいバンドを始めました。上記のバンドはMinor ThreatでVo.を務めていたIan MacKayeが始めたFugaziというバンドです。Minor Threatとは音楽性が全く違いますね。これが"Post-Hardcore"という音楽の始まりだとされています。聴いていると、確かにHardcoreほど熱を帯びたサウンドではないけれどもどこかHardcoreの名残が残っています。


こちらはDag Nastyというバンドです。Minor ThreatでGt.を弾いていたBrian Bakerが結成したバンド。FugaziやDag NastyはIanが始めたDischord Recordsというレーベルからリリースを行っていました。この界隈ではDIY精神(何でも自分たちの手で行う=セルフプロデュース)をモットーにし、また反商業主義的(売れることを目的としない)な思想のもと音楽活動を続けてきました。

90年代に近づくにつれDischord Recordsだけではなく、それ以外にも同様の考えのもと音楽活動を行うバンドが増えてきます。そしてこの新しいムーブメントに注目した雑誌記者が、これらを"Emo-core"と新しく定義したことがEmoの由来となっています。しかし上記のバンドは自分たちが"Emo"バンドであるということを強く否定しました。


【early 90's】

マイノリティで居続けたEmo/Post-Hardcoreシーン。小さいコミュニティとは言えど、若者はそういうものに敏感です。Fugaziのようなサウンドを継承したバンドも出てきます。それがDrive Like Jehuというバンドです。


90年代の頭、Sunny Day Real Estateが登場し前述の"Emo"というワードをプロモーションで利用したところ人々の間で「ふ~ん、これがEmoか。」という程度の認識が生まれました。


同じく90年代の初頭、Jawbreakerというバンドも注目されていきます。Sunny Day Real EstateやJawbreakerはPunkのもつエネルギッシュでメロディアスな部分Indieの繊細かつ悲哀じみた部分をブレンドしたサウンドをプレーしていました。これが90年代のEmoを確立するうえでのキーとなっていきます。


もう1つ重要なバンドがこの時期に登場しました。それはCap'n Jazzというバンドです。Sunny Day Real EstateやJawbreaker同様に、Punkにルーツを感じさせるようなエナジーに満ちたサウンドの他にクリーンのアルペジオを利用した”静と動”を軸にしたサウンドがこのバンドの最大の特徴であり上記2バンドにはあまり見られないアプローチを取り入れたものになっています。
この新しい要素によりEmoというジャンルが大きくステップアップをはかりました。


【90's late】

90年代初頭に頭角を現したEmoバンドは、実に短い活動期間の末に解散してしまいます。90
年代中期~後期にかけては、それまで活動していたメンバーが新しいバンドを始めることでEmoシーンを活性化させていきました。
このバンドはAmerican Footballというバンドです。Cap'n JazzでDr.を叩いていたMike Kinsellaが解散後に始めたバンド。ベースレスでクリーンの美しいアルペジオを奏でながらしっとりとした声で歌い上げるというスタイルです。


The Promise Ringというバンドです。Cap'n JazzでGt.を担当していたVon Bohlenがスタートさせたバンドです。Sunny Day Real Estateのような抑揚のあるサウンドが印象的ですね。


Ghosts And VodkaはCap'n JazzのVictorが始めたバンドです。歌なしのインストです。展開やGt.のフレーズが複雑なことからMath Rock(数学のように難しい)にカテゴライズされることもあります。


Jawbreakerのメンバーが新しく始めたJets To Brazilはより静寂な雰囲気を帯びた音楽性を追求していきました。90年代も終わりに差し掛かるとEmoというジャンルの形が多くのバンドによって確立されていき、一種の統一性が見られるようになります。









ちなみにMinor ThreatとFugaziのようにHardcoreとEmoを兼任するバンドマンも少なくありません。



Gorilla BiscuitのWalter(Gt.)はRival Schoolsというバンドもやっています。




Code Orange Kidsのメンバー全員にKey.を加えたAdventuresというバンドです。

②2000年代のEmo

2000年代に突入するとEmoシーンに大きな転機が訪れます。
90年代に結成され2000年に入るまでアルバムのリリースもされたJimmy Eat Worldの存在です。それまでメジャーの音楽に対して水面下に盛り上がっていたEmoシーン、Jimmy Eat Worldは地道なライブ活動により徐々に知名度が広がっていきます。
そして2001年にリリースされた4thアルバム"Bleed American"が大ヒットを記録しました。これがEmoという音楽がメジャーに上り詰めた瞬間となりました。これを機に、Jimmy Eat Worldをスタート地点にした新たな軸が誕生したわけです。


Jimmy Eat Worldの成功と、メジャーに上り詰めたEmoに魅了された人々が2000年代のEmoを彩っていきます。徐々に2000年代のEmoというものが形作られていくようになりました。それは美しいメロディ、透き通った歌声、ハイトーンVo.を基調としたものです。従来のサウンドの面でのEmoから、Vo.に焦点が変わり、それは中性的であることが求められていきます。ビジュアル面でのEmoというものまで確立されていきその影響はサブカルチャーにまで及びました。
よりメジャーに寄り添った音楽性となっていきます。2000年初頭にはBlink-182やNew Found Glory、Sum41といったPop Punkバンドが同時にトレンドとなっていました。EmoとPop Punk、この2シーンの同時並行による影響は大きなものだったはずです。




ピアノを取り入れた"ピアノEmo"というタグ付けがされニュータイプのEmoが続々登場してきます。その中でも最も有名なのはMaeというバンドです。






My Chemical RomanceThe UsedTaking Back Sundayなど今では有名なバンドが続々と頭角を現します。大手レコード会社と契約、ビルボードにランクイン、ライブではアリーナクラスがソールド、などなど元々は反商業的だったはずのEmoがいつの間にか”売れるための音楽”として世間に認知されていきます。Emoに特化し、ティーンの人気を得るような専門レーベルも設立されていきます。
一方で、マイノリティのEmo、すなわち90年代に水面下で盛り上がりをみせていたEmoを知っている人々からはこの状況にとても否定的でした。この摩擦によりEmoの認識にもズレが生じてきます。

・Jimmy Eat World以降のEmoで育った世代
・Jimmy Eat World以前のEmoを知っている世代

この2者間のズレは、実は僕自身実感していることでもあるのです。


③Emo Revivalの広まり
さて、Emoがメジャーに上り詰め多くの人々に認識されるジャンルとなりました。そして同じEmoでも世代間のギャップによる認識の違いというものも生まれてしまいます。
そんななかある動きが徐々にアメリカ本国で広まっていきます。それは・・・






"Emo Revival"という動きです。90年代に活動していたEmoバンドは多くが解散や長い間活動休止をしていました。2000年も10年代に近づいた頃から、Cap'n JazzやJawbreakerのフォロワーを公言する人々によって「古き良きEmoを復興する」という風潮が作り上げられます。
SnowingAlgernon CadwalladerGrown UpsなどがEmo Revivalの礎を作り上げたバンドとして有名です。


Emo復興の火種はシーンを飛び越えてあちこちに飛び火します。Title Fightの編集盤"The Last Thing You Forget"はPop PunkやMelodic Hardcoreバンドに大きな爪痕を残しました。Emo/Indieの流れを汲みとった新しいMelodic Hardcoreを体現したものになったからです。
この影響により多くのPop Punkが古き良きEmoを取り入れた新しいPop Punkサウンドを築き上げていきます。


④Revivalから新しいEmoへ
90年代Emo(古き良きEmo)の復興は、アンダーグラウンドシーンでは成功を収めシーンは再び盛り上がりをみせます。そしてこのアンダーグラウンドEmoシーンの中で、独自に発展したものがあります。


Emo復興のサポートとして、Indieシーンに新たにレーベルが設立されます。特にRevival Emoに注目するならばここは外せないというところにTopshelf RecordsCount Your Lucky Star Recordsの2つがあります。後者はEmpire! Empire!(I Was a Lonely Estate)というEmoバンドのメンバーによって作られたレーベルです。
このような小さなサポートがやがてRevival Emoから現代のアンダーグラウンドEmoへと発展していきます。オリジナリティのあるEmoバンドが数多く誕生し、輩出されていますね。




















⑤最後に
長々と書きましたが僕なりのEmo解説ができて満足しています。Emoについて僕より詳しい方はたくさんいますが、この記事がきっかけで少しでもEmoに興味を持ってくれたら嬉しいです。自分の好きなEmoがどの時代のどういう人たちだったのかを知ってくれると嬉しいです。ルーツを知ることは発見に繋がります。
本当はScreamoやEmoviolenceあたりの関連項目も一緒に載せようと思ったんですがこの記事を作るのに数時間は要しているので・・・次回にまわします。
メジャーなEmoとマイノリティなEmo。どちらも地盤はしっかりと固まっているので消えてなくなるということはないでしょう。しかし音楽のトレンドというものは衰退と発展を繰り返すものだと考えます。そういう意味ではやはりリアルタイムでシーンを見ていくということはとても貴重なことです。自分が生きている時代の音楽を追い続けることにとてもロマンを感じます。

最後まで読んでくださった方、貴重な時間を割いていただきありがとうございました!

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